卒業(2)

 私は、数年前までSNS(特にリア垢)に対して偏見の目で見ていました。私の友人には元気いっぱいで、すぐにみんなとInstagramを交換しようとする人がいましたが、当時の私は、「SNSでのつながりはしょせん人間関係の冷凍食品に過ぎない。もし二度と会えないならきっぱりと別れるべき」だと思っていました。よもや自分がSNSでいろいろ遊ぶことになると思っていませんでした。

時に、カントは「汝の人格やほかのあらゆる人の人格のうちにある人間性を、いつも同時に目的として扱い、決して単に手段としてのみ扱わないように行為せよ」といっています。私の学校生活はこの言葉が沁みる時間となりました。ベネッセから解説を借りると、


人格を「『目的』として尊重しあう」とは、互いに人格を、尊厳をもった究極価値(目的)として尊重することです。
人格を目的として尊重するということは、他者をかけがえのない人として尊重し、もの(物件)扱いしないということです。

 

私は幸運にも友人に非常に恵まれました。もちろん、友人だけでなく、その周りの人(先生など)にも恵まれました。はじめは、人間関係が苦手だったこともあり、なかなか友達を作ることができませんでしたが、それでも最後の学校の日には友人に囲まれた生活を送ることができました。そうしていく中で、その人のその存在自体がめんこい(かけがえのない大切なもの)であると気付き、無力でなにもできないせめてもの抵抗として、その人の生活(主に水分補給)を気にかけることで、それを幾らかでもわかってもらおうとしていましたが、なかなかうまくいかないですね。今は、友人、知り合いの存在自体がめんこいので、SNSもしたいし、積極的に情報発信してもらったり、連絡をくれたり、たまにお話したりして、存在を確認したいです。上記の友人と同じところまでたどり着く(たどり着いているのか?)には少し時間がかかったと思いますが、ぜひともどうかSNSなどを駆使して卒業した後もそのめんこい(かけがえのない大切なもの)存在を確認させてください。

 

P.S.私の友達の範囲は思っているより広いので、あなたもそれです。SNSでの呟き、待ってます。ぜひフォローさせていください。